今日の自分分析の実例は、M子さんです。38歳の女性です。

 

 大変仕事がよく出来る方です。一方、結婚もして子供もほしいという気持ちがあります。

 

 最近、疲れ切って、ついに休職する状態になりました。何が問題だったのでしょうか。自分分析してみましょう。


 4人兄弟の長女で、親からは、しっかりとしたお姉ちゃんであることを求められました。親は、下の子供に手がかかっていました。


 親の愛が欲しい自分(N)が強くあります。


 親の愛を得るには、しっかりと生きるという親の希望を果たさなくてはなりません。仕事も立派にしないといけません(K)。

 

 ご本人は、「認めさせたいなどとは思っていません。ただ、自分の存在価値を認めてほしいだけです。」と言われます。しかし、競争社会で認めてもらうには、人よりもよい仕事をしなければなりません。本人は意識はしていなくても、存在価値を認めさせることと同じになります。これを受け身のK(PK)と呼んでいます。


 結婚や子供も欲しいというのは、何でしょうか。世間体が気になります。親の愛を得るには、世間体が大事です。そうであれば、Nです。

 

 老後の孤独が辛いというのなら、これもNです。

 

 老後の経済的な不安というのなら、これはOです。

 

 性的な満足もというのならTです。

 

 親や子供の笑顔を見たいというのなら、Sです。


 M子さんの場合、PKは、親の愛と承認を貰うための手段です。止む得ないKです。本心ではありません。

 

 KとNは、葛藤し新型ストレスですが、本当にKが好きで好きでたまらないという人を見たことはありません。深く心の底を見ていけば、M子さんのように、欲しいのは、親の愛と承認であって、Kは手段ということが殆どです。止む得ないKであり、悲しいKです。

 

 しかし、止む得ないKであったとしても、愛と承認を貰うためには、人よりも立派な仕事をし続けなければなりません。

 

 初めは規模も求められる水準も低いですから、どんどん進めます。しかし、段々、規模も大きくなり、水準も高くなります。うまく行かなくなります。しかし、それでもどんどんやる以外にはありません。

 

 それ以外には、愛と承認を貰う方法を知らないからです。充実感も生命力も落ちてきて、客観性もなくなって失敗します。それでも、やるしかありません。さらに失敗しますが、それでもやるしかありません。ひどい時には、過労死やうつ病に至ります。


 しかも、結婚や子供のことも考えなくてはなりません。親の愛と承認を得るには、世間体も大事なのです。自分の老後を考えると、自分にとっても欲しいものです。


 しかも、親の笑顔を見たい自分もいます(S)。自分のことだけなら、まだ我慢をすればなんとかなるということもあるでしょうが、親を喜ばしてあげたい自分がいる場合は、本当に大変です。


 これは、過酷です。男性の場合は、仕事さえ出来れば、家庭を守ってくれる奥さんをもらうことはそれほど難しくないでしょうが、今の日本で、仕事をする女性が、主夫を得ることは容易ではありません。
 

 どうして良いか分からなくなります。何をしてもうまく行かなくなります。


 しかし、おかしなことが起こっているのではありません。自分分析で見ていけば、起こるべくして起こっていることです。


 解決は、ふとした優しさの自分です。

 

 KやWやTは、社会の中で出せば出すほど嫌われて自滅のシナリオになります。

 

 一方、NやOやSは、それで生きようとすればするほど、自分を押さえることになり、窒息感が強まり、やはり自滅のシナリオになります。

 

 しかし、ふとした優しさの自分は、どんなに生きても自分です。自分を犠牲にしてはいません。しかも、優しいのが好きです。相手や周りの人にも優しくしてあげられます。自分も含めて、皆が良くなるように、幸せになれることを考えることができます。


 もし、ふとした優しさの自分があって、その自分が好きなら、とても嬉しいことです。人生の問題を根本的に解決できるからです。

 

 ただ、ふとした優しさの自分は、「ふと」したものです。その自分を生きるためには、育てなければなりません。優しさを生きるための方法や能力を持たなければなりません。トレーニングが必要です。


 それが、かぎりなく優しい心身医学のトレーニングです。生かされてる医学的事実と、頭をカラッポにする丹田呼吸法と、現代人の心の分析法(自分分析)です。

 

 



 自分分析の初歩的な当てはめからやってみましょう。自分分析は、心を7つに分けて当てはめていきます。

 ご飯のために社会適応する自分(O)、愛や評価を貰うために良い子になる自分(N)、快楽したい自分(T)、W(自由気ままに生きたい我がままな自分)、K(人に自分の存在価値を認めさせようとする自分、ブライドの自分)、笑顔を見たい自分(S)、ふとした優しさの自分です。 それでは、実際の当てはめをやってみましょう。7つの自分の当てはめです。

 主婦A子さんは、最近、イライラとすることが多くなりました。

 O(ご飯を得るために、自分を抑えて、社会適応する自分)・・・夫は、特に問題も無く会社に勤めています。人並みには、出世もしていますので、生活の不安はありません。Oは、満たされています。

 T(快楽したい自分)・・・適当に美味しいものも食べられています。特に、不満はありません。

 N(評価や優しさが欲しい自分)・・・家事をやっていても、夫や子供達からは、当たり前という感じて、感謝をしてもらえません。これは、淋しいです。Nは満たされていません。

 W(自由気ままに生きたい自分)・・・結婚の初めから、自由気ままに生きたい気持ちは、あまりありません。むしろ、安定した家庭でありたいと思ってきましたから、Wの問題ではありません。

 K(自分の存在価値を、人に認めさそうとする自分)・・・いつも、夫や子供たちから、軽視されているように感じます。私の存在価値って、何なのかと思ってしまいます。私は、お手伝いさんでも、召使でもないのです。これには、腹が立ちます。

 S(人の笑顔を見るのが嬉しい自分)・・・夫や子供たちの笑顔を見るのは嬉しいですが、軽視されているのではないかと思うと、ムカムカします。瞬間、Sかもしれませんが、すぐに消えてしまいます。Sは、別に欲しくありません。

 当てはめてみると、A子さんは、NとKが満たされていないと言うことになります。

 評価や優しさがもらえなくて、淋しいのであれば、もっと、優しく親切にすれば良いのです。自分を捨てて、夫や子供に、つくせば良いのです。

 しかし、それは、Kが許しません。プライドが許しません。

 一方、Kを満たそうとするなら、我慢をしないで、強く出たり、自分を主張すれば良いのです。しかし、それをすれば、嫌われて、孤立と孤独になるので、怖いです。

 孤立と孤独になるのが怖ければ、おとなしく、Nをすれば良いのです。評価と優しさがもらえます。

 しかし、それでは、プライドが傷つきます。私のことを何と思っているのか、そう言いたくなります。

 しかし、それを言えば、孤立と孤独になります。それは、嫌だから、Nをすればと思うのですが、プライドが許しません。

 この繰り返しが、延々と続きます。

 どうにもできなくて、イライラします。

 KとNとの葛藤は、新型ストレスです。

 A子さんのイライラは、このネックから来るものではないかということが、当てはめから見えてきます。

 解決は、ありません。この深刻さを理解することです。

 新型ストレスには、解決の方法がないということを本当に理解できたら、かぎりなく優しい心身医学の価値がお分かりになるでしょう。

 



 

 自分分析は、心を7つに分けて当てはめていきます。

 

 ご飯のために社会適応する自分(O)、愛や評価を貰うために良い子になる自分(N)、快楽したい自分(T)、W(自由気ままに生きたい我がままな自分)、K(人に自分の存在価値を認めさせようとする自分、ブライドの自分)、笑顔を見たい自分(S)、ふとした優しさの自分です。
 

 それでは、実際の当てはめです。
 

 B子さんは、結婚する予定です。相手の方は、大きな会社に勤めておられ、優しい良い方です。B子さんの心は、どう動くのでしょうか。

 

 Oが満たされる・・・大きな会社です。正社員です。給料が高いから、ご飯の心配はありません。将来、出世もされるでしょうから、さらに、給料は上がり、退職金、年金も確実でする。安心できます。嬉しいです。

 

 Tが満たされる・・・年次休暇はたくさんある。ハワイに行って、泳いだり、美味しいものが食べられます。性的な欲求も満たされるでしょう。嬉しいです。

 

 Nが満たされる・・・大きな会社ですから、世間体は、すこぶるよろしいです。世間から良い評価がもらえ、親や家族からも、愛と優しさがもらえるので、嬉しいです。

 

 Wが満たされる・・・親からいつも縛られて自由が無かったので、実家を出て独立できます。もう親から縛られなくて良いので、嬉しいです。

 

 Kが満たされる・・・高校時代に、自分よりきれいで、成績も良くて馬鹿にしていた同級生たちのご主人は、小さな会社です。同級生たちに勝てました。夫からも、「君は、世界で一番素晴らしい、僕の宝物だ。」、などと言われて、自分の存在価値を満喫できます。これは、溶けるほど嬉しいです。

 

 Sが満たされる・・・夫の笑顔を見るのが嬉しい。優しい自分を感じます。ただ、これには、注意が必要です。もし、夫が、優しくしてくれなくなったら、倦怠期に入って、自分に無関心になってきたら、会社で、失敗して、昇進できなくなったら、会社が倒産して、生活が困るようになったら、その時も、笑顔を見たい、それだけで、幸せと言えるでしょうか。

 

 今回の場合も、人により、どれが満たされるかは、さまざまです。一つだけではなく、二つ、三つの心が、動く人もあるでしょう。全部あって、その時その時の状況で、あるものが強く出るという人もいるでしょう。

 

 いずれにせよ、今、動いている心を当てはめていきます。どれが良いということではなくて、さまざまな自分がいることを、まず知りたいのです。

 

 さまざまな自分の当てはめができれば、どの自分を満たすために、この結婚をしようとしているか分かります。

 

 その自分で良いのかということと、その自分を満たすためなら、もっと他に、確実な方法があるかもしれないということと、では、自分の本心は、何なのかということを考えることが出来るようになります。

 

 特に、結婚の場合は、取り返しがつきません。自分分析が出来て、自分の本心を知る能力がついてから、どうするか決められるのが良いと思います。

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 「自分のことは、自分が一番良く知っている」、そう思って皆さんも私も毎日暮らしているのですが、果たしてそうでしょうか。本当に知っているのでしょうか。

 

 もし、「本当の自分」を知らないで暮らしているとしたら? あるいは、一部だけしか知らないで暮らしているとしたら? それは大変なことです。

 

 「私が、私が」といって暮らしていながら、はっと気が付いたら、「本当の自分を生きていなかった」、では何とも寂しいことです。

 

 こんなことを言っていると、「先生は毎日そんなことを考えながら生きているのですか。大変ですね」と妙な同情をされてしまいそうです。

 

 確かに多くの人は元気なときには、そんなことは考えません。毎日忙しくて、目の前のことを片付けることで精一杯です。

 

 実際元気に機嫌良く生きている人を捕まえて、「あなたは本当の自分を生きていますか?」などと議論を吹っかけるのは、おせっかいです。私も、そんなおせっかいはされたくありませんし、おせっかいおじさんにはなりたくもありません。

 

 しかし、病気になったときとか、死を前にしたときには、はっと我に返るというか、ふと自分の今までの生き方を見つめる、そのようなことがあります。

 

 そのようなときにしか、人間は「本当の自分とは何なのか?」、「生命とは何なのか?」といった根本的なことを考えないのかもしれません。いや、考えたくないのだと言った方が正しいのかもしれません。

 

 ただ、現在、自分の生命や自分自身について不安や関心をおもちの方があれば、一緒に考えていこうと思います。それは、人間に与えられた最高の贈り物、つまり「本当の自由」を得るために実に大事なことだからです。

 

 それでは、皆さんが自分についてどの程度知っておられるのか検討をして見ましょう。まず、自己紹介をするときを考えて見てください。

 

 最初に氏名を言います。次は、生年月日、生まれた場所、小学校はどこで、中学校はどこ。現在、どこの会社に勤めていて、何をしているか。それに趣味や特技を付け加えれば上出来です。それで本人も相手も理解し会えたような気持ちになるのですが、一体何がわかったのでしょうか。

 

 つまり、「本当の自分」を表現したことになりますか、と言うことです。

 

 氏名は自分ではないでしょう。同姓同名の人もいますし、結婚して姓が変わることもあります。生まれた日も、場所も、学校も、会社も確かに自分の一部を説明したことにはなりますが、それで十分ですか。それが「本当のあなた」ですか、ということです。

 

 勿論、自己紹介のときに、自分の全部を語る必要はもうとうありません。自己紹介ではその程度の方が煩雑でなくていいでしょう。短時間ですみますし、第一自分を全部さらけ出せばかえって社会生活では支障がでるでしょう。

 

 問題なのは、自分自身です。自分が「本当の自分」を知っているかということです。もし、自分が「本当の自分」について、自己紹介の程度ぐらいしか知らないとすれば?

 

 「いや、そんなことはない。私は自分のことについては当然全てを知っている」、殆どの人はそう思っているはずです。でも、そうでしょうか。

 

 小学校のときを考えてください。小学校のときも、当然自分はありました。「私、私」と言っていたはずです。そのとき、「あなたの言っているその私はほんの一部ですよ。大きくなったらもっと大きな私になるのですよ」と誰かが言っても、本人には理解できません。

 

 今の私が全部です。100%です。私のなかに、もっと違った私がいるなんて考えることもできません。そんなことを言えば「おじさん、頭がおかしいよ」と言われかねません。

 

 しかし、もし「小学生の私」が100%であれば、中学校へいっても「小学生の私」のままです。「中学生の私」はないはずです。「中学生の私」が100%であれば、「現在の私」もないはずです。

 

 事実を見れば明らかです。「中学生の私」は「小学生の私」に比べて大きく成長しています。小学生の面影は保ちつつ、小学生の時にはなかった「私」が成長しています。

 

 高校ではどうでしょう。高校生になると中学生の時代とはまた違った私が成長しています。当然のことです。

社会人になったらどうでしょう。今までとは違った「私」です。そして、現在はどうでしょう。小学校生とも、中学生とも、社会人になったときとも違った「私」ではありませんか。

 

 さらに、10年たったらどうでしょう。「私」もさらに変わっているはずです。

 

 このように、過去を振り返れば、「私」が変わるのは当然です。あまりにも当たり前のことです。しかし、変わるというのはどういうことでしょうか。

 

 「今の私」が100%であれば変わることはできません。変わるのは、「今の私」が100%ではないからです。

 

 自分の知らない自分が、自分の中にいる。大人となった現在の自分の中にも、私の知らない私がいる。だから、将来、たとえば10年後の私は、現在の私とは異なるのです。

 

 では、どちらが本当の「私」でしょうか。小学生や中学生、さらに現在の「私」というように、そのときそのときの「私」は、本当の「私」ではないのではありませんか。

 

 私のうちにある「私」こそ、本当の「私」ではないのでしょうか。私のうちにある「私」が、いろいろなことを学んだり体験します。

 

 まずは、家の中でしょう。両親から言葉を教えられ、誉められたり、怒られたり、遊んだり、転んだりといろいろな経験をします。それらの学習や体験が、そのときの「私」を形成します。

 

 やがて、外で友達と遊び、学校へも行くようになり、何が得意で、何が不得意か、だんだんと友達との間の相違がはっきりしてきます。

 

 一番で走ることができる子供、歌の上手な子供、算数が良くできる子供、徐々に差がはっきりとしてきます。個性の誕生です。そして、それを「私」だと思い込みます。

 

 本当は、私のうちにある「私」が学んだり経験したことの結果が、速く走ることや上手に歌を歌うことや算数が良くできることなのですが、評価したり特徴を覚えるためには、「何ができて、何ができないか」を基準にする方が便利ですので、それをその子供自身と理解します。

 

 本人も「何ができて、何ができないか」を自分自身であると思い込みます。

 

 普通に「私」と呼ばれているものは、このようにしてできあがります。学習や経験は総て記憶されていると言われています。

 

 老人になって、20才のころのことを鮮明に思い出すのはありふれたことです。それなどは、まさに記憶は消え去るものではなく、総て記憶されていることの証拠でしょう。

 

 そして、この記憶の総体こそが普通「私」と呼んでいるものです。だから、年とともに記憶の総量が増え、小学生のときには小学生の「私」があり、中学生のときには中学生の「私」があり、現在には現在の「私」があるのです。

 

 私のうちにある「私」が、周りの環境、すなわち家族や友人や会社の人間関係などで、さまざまな経験を繰り返すことにより、また書物などによりさまざまなことを学ぶことにより、常に新しい「私」を創り出しています。これが、常に自分が変わって行く理由です。

 

 だから、小学生のときの「私」が偽物で、現在の「私」が本物ではないのです。そのときそのときの「私」は確かに、「私」なのです。ただ、私の中にある「私」が生み出した産物なのです。そういう意味で、「私」には違いないのですが、本当の「私」ではないということです。

 

 もう一つ大事なことがあります。幼いときは体験の量が少ないので、記憶の総体の「私」も小さいものです。だから、少しの新しい体験も大きな影響を与えます。

 

 しかし、大人になり年を取れば取るほど、記憶の総体の「私」も大きなものになります。すなわち、少々のことでは変化しなくなります。

 

 小さな池に石を投げれば、大きな波紋になりますが、大きな池に石を投げてもたいした影響は起こりません。それと同じことで、年を取ると「私」も変化しなくなります。それを成熟とか大人になったとか言いますが、中身は過去の記憶ばかりになったということです。

 

 過去の記憶が大きくなり過ぎると、世間からは安定した人間と見られますが、何が起こってもたいして感動もしなければ、生きている実感も少なくなります。

 

 どれが本当の「私」なのか、どれが記憶の「私」なのかわからなくなります。本当の「私」を生きることが難しくなります。

 

 一度、過去の記憶から自由にならなければなりません。しかし、巨大になった過去の記憶から自由になることは可能でしょうか。

 

 残された人生を過去を生きるだけで終わりたくありません。何かその方法があるのでしょうか。何としてもその方法を得たいものです。

 

 しかし、心配はいりません。その方法こそ、心の時代の心身医学ー生かされてる医学(http://ikasareteruigaku.org/)です。くり返し学んで下さい。

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