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 「自分のことは、自分が一番良く知っている」、そう思って皆さんも私も毎日暮らしているのですが、果たしてそうでしょうか。本当に知っているのでしょうか。

 

 もし、「本当の自分」を知らないで暮らしているとしたら? あるいは、一部だけしか知らないで暮らしているとしたら? それは大変なことです。

 

 「私が、私が」といって暮らしていながら、はっと気が付いたら、「本当の自分を生きていなかった」、では何とも寂しいことです。

 

 こんなことを言っていると、「先生は毎日そんなことを考えながら生きているのですか。大変ですね」と妙な同情をされてしまいそうです。

 

 確かに多くの人は元気なときには、そんなことは考えません。毎日忙しくて、目の前のことを片付けることで精一杯です。

 

 実際元気に機嫌良く生きている人を捕まえて、「あなたは本当の自分を生きていますか?」などと議論を吹っかけるのは、おせっかいです。私も、そんなおせっかいはされたくありませんし、おせっかいおじさんにはなりたくもありません。

 

 しかし、病気になったときとか、死を前にしたときには、はっと我に返るというか、ふと自分の今までの生き方を見つめる、そのようなことがあります。

 

 そのようなときにしか、人間は「本当の自分とは何なのか?」、「生命とは何なのか?」といった根本的なことを考えないのかもしれません。いや、考えたくないのだと言った方が正しいのかもしれません。

 

 ただ、現在、自分の生命や自分自身について不安や関心をおもちの方があれば、一緒に考えていこうと思います。それは、人間に与えられた最高の贈り物、つまり「本当の自由」を得るために実に大事なことだからです。

 

 それでは、皆さんが自分についてどの程度知っておられるのか検討をして見ましょう。まず、自己紹介をするときを考えて見てください。

 

 最初に氏名を言います。次は、生年月日、生まれた場所、小学校はどこで、中学校はどこ。現在、どこの会社に勤めていて、何をしているか。それに趣味や特技を付け加えれば上出来です。それで本人も相手も理解し会えたような気持ちになるのですが、一体何がわかったのでしょうか。

 

 つまり、「本当の自分」を表現したことになりますか、と言うことです。

 

 氏名は自分ではないでしょう。同姓同名の人もいますし、結婚して姓が変わることもあります。生まれた日も、場所も、学校も、会社も確かに自分の一部を説明したことにはなりますが、それで十分ですか。それが「本当のあなた」ですか、ということです。

 

 勿論、自己紹介のときに、自分の全部を語る必要はもうとうありません。自己紹介ではその程度の方が煩雑でなくていいでしょう。短時間ですみますし、第一自分を全部さらけ出せばかえって社会生活では支障がでるでしょう。

 

 問題なのは、自分自身です。自分が「本当の自分」を知っているかということです。もし、自分が「本当の自分」について、自己紹介の程度ぐらいしか知らないとすれば?

 

 「いや、そんなことはない。私は自分のことについては当然全てを知っている」、殆どの人はそう思っているはずです。でも、そうでしょうか。

 

 小学校のときを考えてください。小学校のときも、当然自分はありました。「私、私」と言っていたはずです。そのとき、「あなたの言っているその私はほんの一部ですよ。大きくなったらもっと大きな私になるのですよ」と誰かが言っても、本人には理解できません。

 

 今の私が全部です。100%です。私のなかに、もっと違った私がいるなんて考えることもできません。そんなことを言えば「おじさん、頭がおかしいよ」と言われかねません。

 

 しかし、もし「小学生の私」が100%であれば、中学校へいっても「小学生の私」のままです。「中学生の私」はないはずです。「中学生の私」が100%であれば、「現在の私」もないはずです。

 

 事実を見れば明らかです。「中学生の私」は「小学生の私」に比べて大きく成長しています。小学生の面影は保ちつつ、小学生の時にはなかった「私」が成長しています。

 

 高校ではどうでしょう。高校生になると中学生の時代とはまた違った私が成長しています。当然のことです。

社会人になったらどうでしょう。今までとは違った「私」です。そして、現在はどうでしょう。小学校生とも、中学生とも、社会人になったときとも違った「私」ではありませんか。

 

 さらに、10年たったらどうでしょう。「私」もさらに変わっているはずです。

 

 このように、過去を振り返れば、「私」が変わるのは当然です。あまりにも当たり前のことです。しかし、変わるというのはどういうことでしょうか。

 

 「今の私」が100%であれば変わることはできません。変わるのは、「今の私」が100%ではないからです。

 

 自分の知らない自分が、自分の中にいる。大人となった現在の自分の中にも、私の知らない私がいる。だから、将来、たとえば10年後の私は、現在の私とは異なるのです。

 

 では、どちらが本当の「私」でしょうか。小学生や中学生、さらに現在の「私」というように、そのときそのときの「私」は、本当の「私」ではないのではありませんか。

 

 私のうちにある「私」こそ、本当の「私」ではないのでしょうか。私のうちにある「私」が、いろいろなことを学んだり体験します。

 

 まずは、家の中でしょう。両親から言葉を教えられ、誉められたり、怒られたり、遊んだり、転んだりといろいろな経験をします。それらの学習や体験が、そのときの「私」を形成します。

 

 やがて、外で友達と遊び、学校へも行くようになり、何が得意で、何が不得意か、だんだんと友達との間の相違がはっきりしてきます。

 

 一番で走ることができる子供、歌の上手な子供、算数が良くできる子供、徐々に差がはっきりとしてきます。個性の誕生です。そして、それを「私」だと思い込みます。

 

 本当は、私のうちにある「私」が学んだり経験したことの結果が、速く走ることや上手に歌を歌うことや算数が良くできることなのですが、評価したり特徴を覚えるためには、「何ができて、何ができないか」を基準にする方が便利ですので、それをその子供自身と理解します。

 

 本人も「何ができて、何ができないか」を自分自身であると思い込みます。

 

 普通に「私」と呼ばれているものは、このようにしてできあがります。学習や経験は総て記憶されていると言われています。

 

 老人になって、20才のころのことを鮮明に思い出すのはありふれたことです。それなどは、まさに記憶は消え去るものではなく、総て記憶されていることの証拠でしょう。

 

 そして、この記憶の総体こそが普通「私」と呼んでいるものです。だから、年とともに記憶の総量が増え、小学生のときには小学生の「私」があり、中学生のときには中学生の「私」があり、現在には現在の「私」があるのです。

 

 私のうちにある「私」が、周りの環境、すなわち家族や友人や会社の人間関係などで、さまざまな経験を繰り返すことにより、また書物などによりさまざまなことを学ぶことにより、常に新しい「私」を創り出しています。これが、常に自分が変わって行く理由です。

 

 だから、小学生のときの「私」が偽物で、現在の「私」が本物ではないのです。そのときそのときの「私」は確かに、「私」なのです。ただ、私の中にある「私」が生み出した産物なのです。そういう意味で、「私」には違いないのですが、本当の「私」ではないということです。

 

 もう一つ大事なことがあります。幼いときは体験の量が少ないので、記憶の総体の「私」も小さいものです。だから、少しの新しい体験も大きな影響を与えます。

 

 しかし、大人になり年を取れば取るほど、記憶の総体の「私」も大きなものになります。すなわち、少々のことでは変化しなくなります。

 

 小さな池に石を投げれば、大きな波紋になりますが、大きな池に石を投げてもたいした影響は起こりません。それと同じことで、年を取ると「私」も変化しなくなります。それを成熟とか大人になったとか言いますが、中身は過去の記憶ばかりになったということです。

 

 過去の記憶が大きくなり過ぎると、世間からは安定した人間と見られますが、何が起こってもたいして感動もしなければ、生きている実感も少なくなります。

 

 どれが本当の「私」なのか、どれが記憶の「私」なのかわからなくなります。本当の「私」を生きることが難しくなります。

 

 一度、過去の記憶から自由にならなければなりません。しかし、巨大になった過去の記憶から自由になることは可能でしょうか。

 

 残された人生を過去を生きるだけで終わりたくありません。何かその方法があるのでしょうか。何としてもその方法を得たいものです。

 

 しかし、心配はいりません。その方法こそ、心の時代の心身医学ー生かされてる医学(http://ikasareteruigaku.org/)です。くり返し学んで下さい。

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