性格分析のグラフで、A(きびしい親)が不自然に低い方がいます。

  「本当に低いのでしょうか?」とお尋ねすると、「いえ、本当は高いのです」とはっきり答えられる方は、解決しやすいものです。問題なのは、自分でもAが低いと思いこんでいる方です。

  Aの特徴は、緊張です。Aは、人の欠点を見る能力ですから、人が敵に見えます。Aの人にとって、人の中にいるというのは、敵の中にいるということですから、緊張します。対人関係で緊張を感じる人は、性格分析のグラフで、いかにAが低くても、本当はAが高い人です。

  Aが高いと攻撃したり警戒したりしますので、人間関係が悪化します。人間関係が悪化することは、E(自己防衛本能)の高い人にとっては、大変な不安です。それは、つらくて苦しいので、Aを下げて、B(やさしい親)を高めます。

  本当は、Aが高いのに、自己防衛のために Aをさげている、特に長年にわたってそうしてきているために、無意識になっている場合が大問題です。本人は、Aが低く、Bが高いと信じています。これを「内なるA」と呼んでいます。

  Aが高い場合は、人の欠点が見えます。人は、自分の中にあるものしか見えませんので、人も自分の欠点を見ていると感じます。人の視線を感じて苦しみます。

  しかし、人の欠点が見える以上、相手は敵です。敵に対しては警戒します。口に出すかどうかは別として、攻撃もします。長期的な目で見ると、警戒や攻撃だけでは自滅のシナリオになるのですが、短期的にはなんとか自己防衛はできるということになります。

  しかし、Aがありながら、自分はBの人であると信じている場合は、本当に苦しくなります。実際はAがあるのですから、人が自分を批判しているように感じます。不安が押し寄せてきます。批判的な人の視線が、機関銃の弾や矢が飛んでくるような感じがします。人の目が自分を刺すように感じます。

  しかも、それに対して、Bで反応するのですから、自己防衛できません。対応がBですので、相手を善人と見なければなりません。見なければというよりも無意識に善人と見て、善意、好意を持って対応しようとします。無警戒で優しく接しようとします。これでは打たれるばかりで、可哀相すぎます。

  「腹が立つ。無神経な人間だ。さっさと死ねばよいのに!」、実際に殺せば勿論問題ですが、心の中で一度や二度、そのように思ったことがあったとしても決して異常ではないでしょう。一度もそのように思ったことが無いという方のほうが異常でしょう。

  人間は、決して出来の良い存在ではありません。人間の過去の歴史は、殺人の歴史です。人間の最大の敵は人間でした。現在でも世界の各地で戦争をしています。その過去から私たちの性格はメッセージを受け継いで出来ています。

 

  私たちのA、B、C、D、Eは、そのようなもので出来上がっています。特に、日本は、「村八分型集団意識」の国ですから、日本人はAが高いのが普通です。

  だから、Aがないはずはないのですが、無意識にAを抹殺していますから、自己防衛ができません。ただただ攻撃され、抵抗できずに倒れるだけとなります。疲労感が強くなり、無気力となり、身体が動きません。

  原因が分からないので、自分ではどうして良いか分かりません。学校にも、職場にも行けなくなります。本人は原因に気が付きませんから、がんばろう、がんばろうとします。しかし、すればするほど逆効果です。エネルギーを消耗して行くだけになります。

  Bだけの人であれば、人の長所しか見えませんから、人も自分の長所を見てくれているという気持ちがします。人は善人です。当然、だまされ放しになるのですが、本人はだまされたということすら気が付きません。人の中にいるのは楽しいことで、疲れることはありません。

  Aを持つことは疲れることです。しかし、Aも素晴らしい能力です。必要な能力です。まず、「内なるA」に気づきましょう。そして、Aも必要な能力だということを理解して、自分のAを決して責めないでください。

●親からのメッセイジーを点検する

 

  A(きびしい親)、B(優しい親)、C(合理性)の部分を見てみましょう。これらの部分は、生まれつきあるのではなくて、教育やいろいろな影響を受けて成長するものです。その影響は小さいときの方が強く残ります。

 

 一昔前は、たくさんの子供がいる家庭はも珍しくはありませんでした。親が、照れ隠しのつもりで、「この子は、要らない子だったのです」と人前でいうこともよくあることでした。大きくなって言われても、たいしたことではありませんが、幼いときには親以外に頼れる者はありません。たとえ冗談にせよ、そんなことをいわれれば深刻です。

 

 いかに生きるべきか、どうすべきかは、言葉で言われるだけではなく、親の毎日の行動や生き方から、子供は、多くを学んで大きくなっていきます。もちろん、兄弟、友達、先生、書物などさまざまなものから影響を受け、A(きびしい親)、B(優しい親)、C(合理性)を発達させていくのですが、やはり最も大きな影響は親からのものでしょう。これを親からのメッセージと呼びます。
自分がどのようなメッセージを受けているのかを点検することが、大変重要です。

 

 A(きびしい親)の高い人では、とのようなメッセージが入っているでしょうか。「人を安易に信じてはいけません。だまされますよ」、これはお父さんがいい人で、人を信じたために倒産した。そのような出来事があれば、このような言葉が家庭の中でお母さんの口からいつもでていた。それがメッセージとなった。そういうこともあるでしょう。

 

 「後ろ指を指されるようなことをしてはいけません」、学校の先生の家や旧家、あるいは伝統や権威を重んじる家で育てば、このようなメッセージが大人になっても、頭の中で生き続けることがあるかも知れません。

 

 「欲しいものがあれば、人を倒してでも手に入れなさい」、これは穏やかではありませんが、強い子に育てたいという思いのあまり、そのようなメッセージを与えてしまうこともあるでしょう。

 

 次は、B(優しい親)の高い人です。「一生懸命に人のために働きなさい。そうすれば、必ず報われますよ」、二宮尊徳症候群と呼んでいます。現在の若者には理解しがたいことかも知れませんが、団塊の世代以上の方では、よく聞いた言葉です。

 

 国が貧しい時代のときには、自分のことは後にして、社会のために働く人間を育てなければなりません。このように教育することが必要でもありました。だから、その当時は、小学校には二宮尊徳の銅像が建てられているのが普通の光景でした。

 

 あるいは、「強くたくましくありなさい。そうすれば尊敬されますよ」、スーパーマン症候群と呼んでいます。たくましい父、しっかりした母、現在でははやりませんが、一昔前ではこういう言葉も聞き慣れた言葉でした。

 

 さて、C(合理性)にはどのようなメッセージが入っているでしょうか。自己正当化です。自分が間違っているのに、いろいろと理屈をつけて、自分の非を認めようとしない。むしろ、自分の方が正しいのだと主張する。いわゆる屁理屈です。

 

 あるいは、自己説得というのもよくあります。自分の不幸や失敗をそのまま認めるのでは耐えられません。「人生長い目でみれば、プラスマイナスゼロだ」とか、こうなる「運命だったのだ」とか、理屈をつけて人を説得するのではなく、自分を説得する。納得しようとする。こういうこともよくあります。

 

 この他にも、たくさんのメッセージを受けているはずです。幼いときのことは、忘れています。だから、じっくり思い出してください。すぐに思い出せなくても、「メッセージを点検するのだ」、という気持ちでいれば意外なときふっと思い出すことがあります。また、思い出したくない思いでもあります。努めて忘れようとしているうちに、ほとんど意識に上って来なくなっているものもあります。

 

 嫌なことを思い出すだけで、それから自由になる方法がなければ、だれも思い出したくはないでしょう。しかし、心配は無用です。私の心身医学は、根本解決をめざしています。必ず、自由自在になれる解決法を学んでいただきますので、安心して、幼い日の再発見をしてください。

 

 

 ●「不安」と「不満」を、どのメッセージで解決しようとしているかで性格ができあがる

 

 自分が「不安さん」であるのか、「不満さん」であるのかが分かり、どのようなメッセージを幼い日に受けているかが点検できれば、自分の性格を形成している要素が理解できます。

「バラバラさん」

 

「不安さん」で、その解決に攻撃、警戒のメッセージを受けていれば、「バラバラさん」になります。

 

 

 

 

 

 

「ぼろぞうきんさん」

 

「不安さん」で、「一生懸命に働くこと。親切にすること」というメッセージを受けていれば、「ボロぞうきんさん」になります。

 

 

 

 

 

 

「クールさん」

 

「不安さん」で、自己合理化や自己説得のメッセージであれば、「クールさん」になります。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「不安さん」で、攻撃のメッセージであれば、「あんたが悪いさん」になります。「不満さん」でも、攻撃のメッセージがあれば、「あんたが悪いさん」になります。

 

 

 

 

 

 

Dが高くても、昭和一桁代生まれのように、百戦錬磨を経験できた世代は、自分を生きることと、「働くこと、親切にすること」というメッセージがうまく噛み合って、「行け行けさん」になりますが、その後の世代では、百戦錬磨は経験できず、社会適応能力を身につけられませんので、「不満さん」になることが多くなります。

 

 

 

 

 

 

 

 

「不満さん」でも、「不安さん」でも、「我がままであってはならない。軟弱であってはならない。」というメッセージなら、「伝統さん」になります。

 

 

 

 

 

 

 

子供のままで、大人になれない人の場合は、「不安さん」であり、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「不満」さんです。

 

 

 

 

 

 


 

不安と不満の両方がある場合は、「子供ちゃん」です。

 

 

 

 

 

 

 

 それらを頭において、10のタイプを見てください。より理解しやすくなったと思います。ただ、注意点があります。あまり真面目にやらないで欲しいということです。心の問題を扱う時は真面目にやり過ぎますと、かえってよくありません。「あなたは、これこれですよ」と、きめつけるのは最悪です。「こういうこともあるかもしれない」程度にしておきましょう。

あんたが悪いさん

 

 

 「あんたが悪いさん」は、E(人の評価を気にする子供)が低すぎるのが気になります。生まれつきこのように低いはずはないと思います。よくよく聞いてみると小さいときには、E(人の評価を気にする子供)の部分が高かったという人が少なくありません。

 そうすると、その人はD(自由気ままな子供)もE(人の評価を気にする子供)も両方とも高かったということになります。後ででてくる「子供ちゃん」であったのかもしれません。

  自己主張しないと自分を感じられない。前にでたい。いろいろなものに好奇心をそそられる。しかし、前にでれば多くの人の評価にさらされる。「どう思われたか?」と考えると、針のむしろに寝ているようでいたたまれない。おとなしくしていれば、いい子で評判もいいが、それでは自分を生きているという感じはしない。

  周りを見ると、ずぶとく生きている人も結構いるではないか。しかも、その人たちの方が楽しく、成功しているではないか。もう気を使って生きるのはやめよう。一切気にしないぞ。そのようにして、E(人の評価を気にする子供)を抹殺して思いどうりに生きようと決断されたのではないでしょうか? 

  しかし、決断をしてもE(人の評価を気にする子供)は消えはしません。心の奥の方でうごめきます。だから、「すべてはあなたが悪いのよ」と、相手に責任転嫁をする必要があるのではないでしょうか? 相手が悪ければ、どんな評価をされようと気にすることはありません。何と行っても相手の方が悪いのですから。

  このようなことがもし起こっているとすれば、「あんたが悪いさん」は「仮面さん」です。しかし、自分でそれを認めるわけにはいきません。長年「仮面さん」を演じて来れば、ほんとうの自分のようになってしまいます、まして、E(人の評価を気にする子供)を見たくないので今まで押さえてきたのです。一応成功してきたのです。今さらE(人の評価を気にする子供)を復活させる必要がどこにありますか? 

  このタイプの方には、安易に「E(人の評価を気にする子供)があるのではありませんか?」と問いかけることは禁物です。余計なおせっかいだと逆襲されることになるでしょう。

  ただ、常にほんとうの自分でない性格を演じるのですから、仮面を演じることは、エネルギーがいります。無意識にはなっていても、E(人の評価を気にする子供)を押さえようと昼は勿論夜寝ているときもしていますので、緊張状態が続きます。自律神経系失調症の症状が全面にでてくることになるでしょう。


  若い世代にも、少ないとはいえ「行け行けさん」がいます。「仮面さん」ではないのですが、グラフの形と本当の姿が違うという意味では、「仮面さん」に似ていますので、ここでいっしょに見ておきましょう。この場合は、「不満さん」になることが多いでしょう。「行け行けさん」がうまくいくためには、D(自由気ままな子供)が社会の中で現実の形にならなければなりません。

  つまり、A(きびしい親)とB(優しい親)が十分発達しており、社会との間で摩擦にならず、建設的な形になるということと、それを合理的に遂行するために、C(合理性)も発達していなければなりません。

  「行け行けさん」の代表選手は、敗戦を体験した昭和一桁世代ですが、この世代は、敗戦後何もない状態から、ありとあらゆる経験ができました。失敗は恐くありません。国自体が失敗したのですから、それ以下にはなりません。失敗を繰り返しながら、A(きびしい親)とB(優しい親)とC(合理性)を磨いてきました。

 百戦錬磨です。それがあって初めて、D(自由気ままな子供)がうまく社会の中で開花したのです。エンジンを吹かすだけではなく、車の構造も交通規則も習得し、さまざまな状況の中で運転の練習もできた。これが「行け行けさん」です。

  しかし、豊かな時代に生まれた若者には、そのような体験がありません。ファミコンと偏差値と鉄筋コンクリートの街です。A(きびしい親)、B(優しい親)、C(合理性)を勉強したり、練習、錬磨する環境にはありません。

  また、豊かな時代では、失敗はできません。失敗すれば取り残されてしまいます。しかも、国の規模も桁違いに大きく、社会の構造も情報も膨大で複雑になっています。下手に動けば、失敗は目に見えています。

  おとなしくしておればよいのですが、D(自由気ままな子供)が許しません。自分を主張しなければ、自分がなくなったように感じます。しかし、社会適応なしで、自分を主張すれば、「わがままだ。未熟だ」といって、相手にしてもらえません。ますます「不満さん」になり、C(合理性)がなくなり、悪循環に落ちていく、ということになりかねません。現代の日本は、このタイプの若者にとっては、親たちの時代とは違って、決して生きやすい時代ではありません。ストレスが溜まることでしょう。

 性格分析は、

 

 A6点 B16点 C16点 D14点 E4点
 
 さわやか指数 37点  不快指数 40点

  この方は、一見「行け行けさん」ですが、A(きびしい親)が極端に低すぎます。充実感テストも「無感動さん」です。
 
  この方は、本来はE(評価を気にする子供)が高いのですが、「強くありなさい」という親からのメッセージを受けていて、「行け行けさん」になろうとされたのです。

 

 「行け行けさん」になるためには、E(評価を気にする子供)を切り捨てなければなりません。そのとき、A(きびしい親)があれば、人間関係を悪化させます。それはE(不安)を高めることになりますので、極端にA(きびしい親)を下げるという操作をされているということで「仮面さん」です。

  このように「仮面さん」には、もとは「不安さん」が多いように思います。「不安さん」は、「人の評価を気にする人です」、何かをしようとしても、「どう思われるだろうか? 悪く取られないだろうか?」と気になり、なかなか行動を起こせません。

  思い切って行動すれば、今度は、どう思われたが気になり不安になります。夜もなかなか寝られません。「こんなことの繰り返しで人生が終わるのか」と思うと、自分が嫌になります。そこで、「もう一切気にすることは止めよう。ずぶとく生きよう」、そのように決心する人が現れてきます。たしかにそうです。

  気にしてばかりでは、何のための人生か分かりません。世の中をみれば、ずうずうしく生きている人もたくさんいます。そのような人の方が成功しているではありませんか。「もう、こんな自分とは縁をきろう」、そう考えたとしても、なるほどと納得のいく話です。

  しかし、一般的にいって、「不安さん」が「行け行けさん」になることは成功しません。自分を主張したり、思い切って行動しても、不安が増えるばかりです。振り払っても、人の目は消えません。突出すれば、した分だけ人の評価にさらされます。

  良い評価を得ることが、「不安さん」にとってなによりの安心ですから、自分を主張したり、自分の好きなように行動することは、わがままになることですから、評価が下がります。身も心も、疲れ果てるだけ、これが普通なのですが、なかには「行け行けさん」に成功する人もいます。

  その場合は、不安を抹殺することになります。悪い言葉で言えば、突っ張る、いなおる、ということになります。長年にわたって、持ちこたえてくると、ある程度身につきます。一見、エネルギッシュで、豪放とまではいかなくても、精悍なタイプになります。

  しかし、本来の「行け行けさん」とはやはり違います。不安をおさえ、突っ張っているのが、本人にすら分からなくなっていても、常に緊張があります。不安がでようとすると、すぐに押さえなければなりません。

 決断力や社交性もそんなにないのに、熟練しているように演じなければなりません。リラックスできません。ゆったりとすれば、不安が芽を出します。不安がでると、仕事の指示を求められても、すぐに対応できません。そのために、いつも身構えて、すきのないようにしなければなりません。

  昼だけではありません。昼は目の前のことに集中していますが、睡眠中は現実から解き放されるので、過去の不安がでてきます。これでは、夜もゆっくり寝ていられません。不眠になり、疲れます。昼も夜も自律神経系が過度に緊張し、ストレス一杯になってきます。

 「仮面さん」を見抜くことは、極めて大事です。しかし、「仮面さん」の発見は、なかなか難しいものです。

  特に難しいのは、永らくそうしてきたので、自分でも仮面とは感じない、 「仮面さん」 が、ほんとうの自分のようになっている場合です。

 

  自分でも気づいていないのでは、どうしてそれを発見したら良いのか? 人から指摘されても納得出来るはずがありません。

  「仮面さん」 こそ、カウンセリングなしには、自由になることは不可能かと思います。とは言っても、かなりの程度までは理解できます。幾つかの特徴を上げましょう。

  第一は、ほんとうのタイプとは違うものがあることです。

 

  例えば、 「行け行さん」 であれば、爽やか指数が非常に高い。特別にハード・スケジュールで、物理的に限界をはるかに越している場合は、さすがの「行け行さん」も爽やか指数が下がります。

 

  しかし、そんなに過激な生活でないのに、爽やか指数が低い場合の 「行け行さん」 は 「仮面さん」 かもしれません。

  しかも、ほんとうの 「行け行さん」 は、殆ど自覚症状がありません。だから、自覚症状の強く出る方は 「仮面さん」 の可能性があります。

 「クールさん」 は、 「仮面さん」 そのものといってよいでしょう。考えてみれば当然です。赤ん坊の時から、 「クールさん」 の筈はありませんね。子供の時は、D(自由気ままな子供) かE (人の評価を気にする子供)か、その両方です。だから途中からそうなったのです。

  同じことは、 「伝統さん」 についても言えます。子供の部分がなくて、親の部分だけというのがこのタイプの特徴ですが、生れた時から 「伝統さん」というのはないはずです。

 どうしてこのようなことが起こるのか。それは、簡単に言えば性格とは、D(自由気ままな子供)からでる不満と 、E(人の評価を気にする子供)からでる不安に、どう対応するか、どう対処するかという問題だからです。

 

 特に、 E (不安さん) の場合が問題です。E (不安さん) さんは、自分は間違っているかもしれないという気持で生きている。このままの自分ではいけない。変わらねばならないと思う。

  あるいは、自分のしたいことを抑えて生きています。我慢して生きている。楽しくはありません。世の中には我侭に楽しくやっている人も多い。

 

  気を使って生きているのに、気を遣っていない人のほうがうまくやっている。もうこんな生きかたはやめようと思うのも無理のないことです。

 一方、 D(不満さん) が仮面を被ることは少ないでしょう。 D (不満さん)さんは、自分が正しいと思って生きている。自分を変えなければと思うことは少ないはずです。

 

  言いたいことをいい、したいことをしているので、それが出来ている間は、変わろうとする必要を感じない。

 したいことが出来なくなった時でも、人に対して腹が立つことがあっても、自己反省能力が少ないので、自分を変えねばという意識は出ないことが多いでしょう。


  ということで、仮面を必要とするのは E (不安さん)が多く、D (自由気ままな子供) も E (人の評価を気にする子供) も両方ある場合でも、E(人の評価を気にする子供)が強くある方が多いでしょう。

  自分の不安を抑えたり、解消するために、貧しい時代の日本を生きた世代では 「伝統さん」 になることが多かったでしょう。

 

  しかし、現在は豊かな時代になったために、「伝統さん」は少なくなり、「クールさん」や、「ぼろぞうきんさん」や、「あんたが悪いさん」になり、ときには、「普通さん」や「行け行さん」 になることもあるでしょう。

  どのタイプになるかは、両親や教育、その他の環境によるでしょう。いずれのタイプになっても、自分の本来のタイプと違ったものですから、大変なエネルギーが必要です。

 

  いつも緊張状態にある。自律神経が過緊張して自律神経系失調症になってきます。自由さ、水みずしさ、豊かさ、温かさを失います。ほんとうの自分でないものに無理になれば、それらのものは失われます。

  他のタイプになろうとすることは、他人の山を登ることですから、いくら頑張っても他人の山です。自分の性格から自由になることは出来ません。一日も早く、仮面からほんとうの自分を発見しましょう。

 

  性格分析でのEの本体は、自己防衛本能ですから、あって当然のものです。ただ、それが強くなると、「不安さん」になり、人の評価ばかり気にするようになります。人の目ばかり気になり、少しのことでも不安になり、生きにくくなります。

では、なぜEが強くなるのでしょうか。それは、幼いときに不安体験をしたからです。大きくなってからの体験は、自分が大きいですから、あまりこたえません。やはり、少しのことでも生命の危険が及ぶ幼児期の体験です。

しかも、それは存在の否定体験です。単に怖いとか、恐ろしいということではなくて、「私は、両親にとって、不必要な存在ではないのか? じゃまな存在ではないのか?」という体験です。

大人にとって大したことではなくても、存在の否定体験などというたいそうな問題ではなくても、ごく常識的な言葉や行動であっても、子供にとっては、自分の存在を否定されていると感じることがあります。

上昇志向の強い家庭は、子供にとっては「存在の否定」です。勉強ができ、社会的に立派とならない限り、親から存在を認めてもらえないからです。「世間体」を大事にする家も、子供にとっては「存在の否定」です。お父さんやお母さんは、自分よりも「世間体」を取るからです。

男の子がほしかった。女の子の方が良かったということも、そうです。性別は完全な存在の否定です。仕事優先の親もそうです。私と遊ぶよりも仕事を取るのですから。病弱な姉を大事にする親も、そうです。私よりもお姉さんが大事なのですから。

物は何でも与えてくれるが、叱ることのない親も、そうです。叱ることすらないほど、存在を無視されているのですから。自由な家庭というのは、存在感の希薄な家庭ということでもあります。

大きくなれば、愛情がないのではなく、いろいろな事情があってそうだったのだと分かります。しかし、大きくなって理解できたとしても、それは意味がありません。幼いときには、幼いときに感じたことがすべてです。その時に感じた不安が、根底に根付き、その後の人生の出来事の度に大きく育ってきたのですから。

さらに、時代の変化から来る問題があります。貧しい時代では、食べることで精一杯でした。餓死する危険がいつもありました。親は精一杯がんばって、子供に食べ物を与えました。それが、親の愛情表現でした。子供も空腹ですので、ご飯を与えてくれる親は、愛情あふれる親と感じられました。

貧しい時代では、お父さんが仕事で家にいなくても、ご飯を食べさせてくれるためにがんばって働いてくれているということが分かります。お母さんが、世間体ばかり気にしても、自分や家族を守るために気苦労してくれているということが理解できます。

貧しい時代は、親の愛が確認しやすい時代です。ご飯を食べさせてくれる、それで親の愛を確認できました。しかし、豊かな時代になれば、ご飯は当たり前です。物によっては、愛の確認はできません。外で仕事ばかりしている親は、自分よりも仕事が大事だと映ります。世間体ばかり気にしている親も、自分よりも世間体のほうが大事だと感じます。

しかも、現在の日本の親は、貧しい時代に生きた親です。もっと若い世代でも、物を与えるのが愛情表現だった親に育てられていますので、愛情表現は物です。しかし、子供は物には飽きています。物では、愛情表現とは感じられません。ここに、愛情欠乏症が起こります。急速に高度成長をし、「物の時代」から一挙に、「心の時代」に到達した日本の特殊事情です。

もう一つの存在の否定体験は、死です。私たちの死生観は、「死んだら灰になっておしまい」ですから、死は、完全な存在の否定です。幼いころに、病弱だったとか、家族の人や親しい人が死んだという体験は、強い存在の否定体験になります。親の愛の確認ができないということと、死の不安が、存在の否定体験を形成するのです。

ただ、「存在の否定体験=環境+自我の強さ」です。自我が非常に強い方は、親の愛の確認ができないことや死の不安という環境による存在の否定体験が弱いものであっても、自我が強ければ、強く存在の否定体験と感じます。

存在の否定体験を考える場合は、常に、環境と自我の強さという両面から見ていかなくてはなりません。環境の面では、存在の否定体験に当たるものはたいして強くなさそうなのに、Eが非常に高い方は、自我の強さという面から見ていくと、より正確に理解できるでしょう。

今日から、このブログで、性格分析の勉強をしていきましょう。

 

まずは、充実感テストと性格分析テストをしてみましょう。

 

それができたら、動画を見て下さい。

 

大変だとは思いますが、20回は、見てください。

 

数回程度では、過去の自分の性格のままで見ていますので、よくわからなかったり、特に問題なのは、他人の性格になろうとしたりすることが少なくありません。

 

性格分析は、性格から自由になることが目的ですので、何度も何度も繰り返して見てください。

 

何度も繰り返し見ていただくと、すこしずつ、わかることが増えてきます。

 

だんだんと楽しくなってきます。

 

是非、楽しく学んでいきましょう。

 


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